一日一善 97日目(善問答):トイレ掃除は本当に「善」か?──目的と心が変える「善」の本質

今日の一善
記事内に広告が含まれています。

今日の善問答

ゴミ拾いと並んで、『トイレ掃除』は世間的に「善いこと」として知られています。
でも、このトイレ掃除は本当に「善」なのでしょうか?

僕の結論はこうです。

トイレ掃除は、「善」にもなり、「苦行」にもなり、「修行」にもなる──
結局、どんな気持ちで、何のためにするかによって変わるということです。

考察──トイレ掃除を色々な視点から見てみた

① 誰かのためにする掃除(他者貢献)

  • 「誰かが気持ちよく使えるように」
  • 「お客さんが気持ちよく過ごせるように」

これは誰が見ても明確な「善」でしょう。

② 自分のためにする掃除

  • 「自分がきれいな場所を好むから」
  • 「自分の空間を整えて心地よく過ごしたい」

これも、自分自身を大切にする意味での「善」です。

③ 誰かにやらされて嫌々やる掃除

  • 「罰や義務として仕方なく」
  • 「周囲の評価を気にして」

これは「善」とは言い難いですが、この気持ちに気づければ、自分が成長するきっかけになるかもしれません。

④ 修行としての掃除

  • 禅僧や修行者が掃除を通じて自分の心を磨く
  • ボランティア活動として心を整える

掃除が「心を清める」行為として捉えられるなら、これは間違いなく「善」と言えるでしょう。

⑤ 運が良くなるための掃除

  • 「トイレ掃除で運が良くなる」という俗説を信じて
  • 掃除を通じて感謝の気持ちを高める

トイレ掃除を通じて幸せホルモン(セロトニン)が分泌され、ポジティブな意識が芽生えるなら、それは本人だけでなく周囲にも良い影響を与える「善」と言えるかもしれません。


気づき・学び

結局、『どんな気持ちで、どんな目的で、誰のためにやるか』が「善」かどうかのポイントだと気づきました。

僕は誰にも見られていない、気づかれないような、
こっそりとした『小さな善』の行動こそが、
実は世界を少しずつ良くしていくのだと信じています。

トイレ掃除は、そんな『小さな善』が詰まった行為なのかもしれませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました