一日一善 93日目(善問答):猫に石を投げるのが「善」になるとき──善悪の曖昧さについて

今日の一善
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今日の一善(善問答)

世の中は空前の猫ブーム。
可愛い猫を傷つける行為は絶対的な「悪」として非難されます。

小説にも、猫を虐待する人間を懲らしめるヒーローが登場するほどです。

でも僕の家の周りは、野良猫(時に飼い猫)の糞害で困っています。

猫よけの植物を植えたり、猫が嫌がる匂いのする酢をまいたりして、
猫を遠ざける努力をしています。

実際に猫を傷つけることはしませんが、
猫を見かけたら、威嚇する目的で小石を投げることもあります。

その結果

この行動によって猫が近づかなくなり、糞害が大幅に減りました。
家が荒らされることもなくなり、隙間で子猫が産まれることもなくなりました。

気づき・学び

僕自身、自然や動物をとても大切にしたいと思っています。
でも、動物にも人間にも、それぞれ守るべき領域がある。

僕は猫を単にかわいいペットとして下に見てはいません。
むしろ『同じ地球に生きる対等な存在』として考えています。

だからこそ、住み分けが必要だと思うのです。

猫に石を投げる行為は、絶対的な「悪」なのでしょうか?
もしかすると、ある視点では「善」とも言えるかもしれません。

「善」というのは、立場や状況、思想によって
とても大きく変化する概念なのだと、改めて考えさせられました。

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