障害ってなんだろう?障害の本質とは

記事内に広告が含まれています。

障害ってなんだろう?僕は、内向的で人と話すのが苦手。世間でも発達障害という言葉がよく聞かれます。勉強してみようと思います。

でも、障害という言葉は、とってもシビアです。

障害という漢字を使うだけでも、怪訝な顔をされることがあります。偉そうに、障害を語るな!とお怒りになる方もいらっしゃるでしょう。

よって、僕の障害についての考え方やスタンスをはじめに明記しておこうと思います。

もし、不快に感じられる方がいらっしゃれば、このブログは、不快の元となり、ストレスを与える存在になってしまいます。

僕は、みんなに健康であってほしいと思っています。なので、もし、ストレスを感じられる方は、ご覧にならないほうが良いと思います。健康であってください。

障害に対する考え方

僕の、障害に対する考え方は、基本的に以下のとおりです。

  1. 障害は、社会の作り出したものである
  2. 障害は、遺伝子がわざわざ作り出したものであり、誰も悪くない
  3. むしろ、障害者の存在が、ホモ・サピエンスが生き残り、繁栄している鍵となっている
  4. 障害者も健常者も、白人も黒人も全ての人類をまとめてホモ・サピエンスという生き物である

詳しく僕の意見を書いていきます。

1.障害は社会の作り出したものである

今、世間を賑わせている、発達障害という言葉があります。その中でも、ADHD(注意・欠陥多動症)やASD(自閉スペクトラム症)が有名ではないでしょうか。(かつては、〇〇障害と言っていたが、最近は、〇〇症というようになってきています)

 ADHDの傾向がある人は、集中力がなく、注意散漫で、授業中にふらふらと立ち歩いてしまうなど、落ち着きがないと言われます。しかし、僕達が、サバンナの猿であった頃、注意力が散漫で好奇心が旺盛だから、他の人達が何かに集中しているときに、群れに迫る危険を察知したり、奇抜なアイディアの道具を作ったりしたかもしれません。誰も近づかないところにふらふらと行ってしまい、新しいエサ場を見つけたりしたかもしれません。つまり、ADHDの人がいる集団が有利に生き残った可能性があります。

 同じように、ASDの人は、対人関係は苦手ですが、天気や動物の様子を観察したり、普段とは違うことに敏感だったりします。だから、ASDの人がいる集団は、自然災害や外敵来襲などの危険を察知できたことでしょう。引きこもってしまう人も多いですが、洞穴にこっそり隠れていたおかげで、集団の全滅を防いだのかもしれません。つまり、身内どうしの交流ばかりに気を配っていた集団よりも、有利に生き残った可能性があります。

 現在、教室では、座ることが普通であるとされています。だから、座れない子は異常とされ、障害とか、〇〇症といって病気とされていると思います。

 同様に、文字を書くことが当たり前であるとされているから、文字が書けない子も、〇〇障害や病気とされます。そもそも、文字を書くことは、最近のことであり、我々人間に元々備わっている能力ではないので、できない人がいるのは当たり前であると思うのですが、文字が読めないと困る仕組みになっているので、こういった事が起きると思います。

2.障害は、遺伝子がわざわざ作り出したものであり、誰も悪くない

 上記でも書いたように、様々な個性が生まれるように僕らは仕組まれています。それを多様性と最近は言われています。

 その個性は、遺伝子のコピーミスによって起きる突然変異が原因であると言われます。

 このランダムに起きる変異のおかげで、現代まで生き物たちは生き残っています。

 僕は専門家ではないので、難しい話はできませんが、障害が誰かのせいであるということはなく、強いて言えば、遺伝子の仕組みで、わざわざ起きるようになっているものであると考えています。

3.むしろ、障害者の存在が、ホモ・サピエンスが生き残り、繁栄している鍵となっている

 人間は、弱い生き物であったということです。ネアンデールタール人は、ホモ・サピエンスよりも力も知能もありました。だから、一人で生きていけたのだといいます。しかし、一人で生きていたから、大きな環境の変化で、仲間と協力できなかったので絶滅したという仮説があります。

 一方で、ホモ・サピエンスは、力も知能もネアンデールタール人より劣っていたので、みんなで協力しあい助け合って生きてきたといいます。生き残るためには、みんなの知識と経験が必要でした。だから、怪我をしたもの、年老いたものも助けたのです。つまり、弱いものを切り捨てる集団よりも、弱いものを大切にする集団が生き残ったのだと僕は考えます。

 だから、障害をもっている方を助けたいという思いこそが、ホモ・サピエンスが生き残ってきたうえで欠かせないものではないのでしょうか。そして、それは、過去のものではなく、これからの未来にも欠かせないものであると考えます。

4.障害者も健常者も、白人も黒人も全ての人類をまとめてホモ・サピエンスという生き物である

 「利己的な遺伝子」という本で、ドーキンスさんという方が、僕らは遺伝子を運ぶ乗り物であるという表現をしています。僕らを、遺伝子を未来へ運ぶ、ただの入れ物であるという考えは突拍子もない事ですが、僕は、そうかもしれないなって思っています。詳しく知りたい方は、ぜひ読んでみてください。

 この考えから、僕らは、遺伝子を運ぶために生きている。でも、一人のホモ・サピエンスでは、運ぶことが困難だから、こんなにもたくさんのホモ・サピエンスがいるんだと思います。それって、つまり、ホモ・サピエンスという生き物は、全員で、一つみたいな感じがしませんか?

 人類みな兄弟、のように言う人もいますが、まさにそうだと思います。仏教の「空」の考え方に近いのかもしれません。僕は、現在、こうやって考えています。

 こう考えるに至るまでに、多くの本の力をかりています。いくつか紹介をしてこの記事を終わろうと思います。特に、稲垣 栄洋さんの「遺伝子はなぜ不公平なのか」は、僕の考え方に、ものすごく近くて、嬉しくて叫びたくなってしまった本です。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 参考にした本の一部

  • サピエンス全史 著:ユヴァル・ノア・ハラリ
  • 利己的な遺伝子 著:リチャード・ドーキンス
  • 発達障害 著:岩波 明
  • 自分とか、ないから。 著:しんめいP
  • 世界は「関係」でできている 著:カルロ・ロベッリ
  • 遺伝子はなぜ不公平なのか? 著:稲垣 栄洋 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました